きれいな色ときたない色

ここ数年途絶えていた山遊びを、年末だというのに先日行ってきた。
山の景色はもう華やかな紅葉から一転、澄み渡った青空なのに森の中はどんよりとした様子。
目的は友人の山に自然薯を堀りに行くこと。

この時期になるとつるは離れ探すのが困難なところ、そこはさすがは友人、自分の山だけにおおよそ検討はついているのか、あそこのもじゃもじゃっとした枯れた葉っぱの下を探せばあるとかそれは細いとかまぁ詳しい事。

そして、あの汚い色のつるの隣の綺麗な色のつるが自然薯だからそこを掘ってみると良いのがあるよとご指導。

ただ、そういわれてもピンとこなかったのが「汚い色」「綺麗な色」の違い。自然薯堀の度に聞いていた言葉なのに「なぜこういう表現をするのだろう?」と意味がわからなく考えこんでしまった。
少し経って確認のために汚い色って茶色?で、綺麗な色ってクリーム色?そうかなという返事。このそうかな?が注目すべきポイント。

帰り際に気づいたことは色のとらえ方の感性が全く違っているということを。

誰が見ても茶色とかクリーム色とか言うはずなのに綺麗、汚いというまったく感覚が違った表現をする背景は何かと自問自答した結果、職業柄そういう言葉を常日頃使っているんだろうという結論に達した。

そういえば彼の家は薔薇を作っていてそれもかなりハイレベルな賞も受賞したことがあるプロの中でもプロ。

あの綺麗な薔薇を見ていれば汚い綺麗色なを使うのも当然であると、色というのは見る人の心によってかなり作用されるものである。

またその効果は計り知れないので絵の具を選ぶときは特に注意しなくてはいけないのだと教えられました。